刀祖
元重
(もとしげ)
〜Legend of the sword〜
【元重とは】
日本を代表する、世界の刃物産地として名を馳せる関市は、今から約700年前の鎌倉時代に刀祖 元重によって刀鍛冶の技術がもたらされたと言われています。
元重は九州の住人と言い伝えられていますが、この地に移り住んだ理由としては、この地方は焼刃土や松炭・水など、刀鍛冶に必要な条件に恵まれていたためではなかろうか、というのが有力な説とされています。
元重がこの地に来てから、元重を始祖として多くの名匠が輩出されました。特に室町時代の戦乱期には、関鍛冶で作られた強靭かつ芸術的にも優れた名刀が多くの武将に愛用され、刀の需要が増えると共に関鍛冶は繁栄していきました。
時代は移り変わり、江戸時代中期頃から刀の需要も減り、刀匠の中には包丁作りや農鍛冶に転じる者も現れました。明治時代には家庭用刃物やポケットナイフなどの生産が始められ、その後二度の世界大戦では一時的に軍刀生産一色に包まれましたが、戦後は再び包丁、ポケットナイフ、鋏、キッチンナイフ、爪切り、カミソリ、洋食器、アウトドアナイフなどが作られ、国内のみならず、世界に向けて輸出されて行きました
このように、元重は関市を刃物産地へと導いた始祖であり、現在も刃物関係者を中心にその功績を崇めるとともに、元重からの優れた技術と伝統 が脈々と受け継がれています。
【元重翁之碑とは 】
≪元重翁之碑≫
場所・・・関市西日吉町38 千手院境内
(善光寺近く)≪
周辺地図
≫
関市内にある千手院の境内には、この地に刀鍛冶の技術をもたらしたと伝えられる、刀祖 元重を祀る「元重翁之碑」があります。
この碑は、刀鍛冶の始祖を崇めるために、大正4年(1915)11月13日に当時の町の有志を中心に建碑されました。この事業にもっとも尽力した人物は後藤玉次郎、國井留吉、加藤平四、清水宮之助、河田菊松、加藤松治郎、藤井宮吉、久保泉、奥村三守等 でした。
また、当時の総工費は1,035円であり、碑文は
土方久元
によって刻銘され ました。
現在は関市内の刃物関係者で構成される「元重保存会」により、この碑が管理されており、毎年11月8日には碑前にて「元重翁慰霊祭」が行なわれます。
【元重翁慰霊祭とは】
刀祖 元重の偉業を称え感謝するため、毎年11月8日に千手院境内にある「元重翁之碑」前で神事が行なわれます。通称「鞴祭り(ふいごまつり)」とも呼ばれる元重翁慰霊祭は、碑前で松割木を積み上げて櫓に組立て、下方より焚き上げます。その頂端には蜜柑が一つ乗せてあり、焼けたこの蜜柑を食べると、夏病みをしないと言われています。また、下から燃え上がる際、櫓が倒れず、なお燃え口が良いと家運が繁盛すると言い伝えられています。
神前には御神酒、餅、蜜柑、野菜等を供え、神官を招いて祭祀を行ない、祝詞を上げ、元重保存会会員を中心とした参列者のお祓いを行ない、玉串を奉げ 、礼拝を行ないます。
また一般参列者および見学者に対して、元重保存会より餅や蜜柑が配られます。
元重保存会事務局
〒501-3886 岐阜県関市本町1-4
(関商工会議所内)
TEL:0575-22-2266
FAX:0575-24-6102